「人を赦すことは、自分自身を赦すこと」と気づかされた出来事

「人を赦すことは、自分自身を赦すこと」と気づかされた出来事

 

あまり公表するようなことではないかもしれませんが、自分自身への記録のためにブログを書くことにしました。

 

昨年、2つの大きな事件がありました。

1度目は去年の春。

まさかそんなことはないだろうとタカをくくっていた出来事でした。

ところが事実を確認したところ、最悪の結果だったことがわかりました。

それを知ってからもがき苦しみ、寝れない日々。

その出来事を起こした人への怒り。

けれども、誰でも間違いは犯すと思い、許すことにしました。

 

そして、その半年後。

また同じ出来事が起こりました。

1度目には判明しなかった事実までもがわかりました。

父と死別した直後でもあったので、深く、深く、もがき苦しみました。

食事がのどに通らない日々。

眠ることもできない。

体調が悪い日々が続く。

どうしてこんなことが続くんだろうか。

一度許したのにまた許すべきなのか。

散々、迷いました。

そして、もう一度だけ許すことにしました。

でも、二度あることは三度ある。

今回また許してもまた同じ出来事が起こるんじゃないか、そんな不安や怒りが常に心に巣食っていました。

 

それから半年以上、ずっと不安と怒りの日々が続きました。

考えないようにしようとしても、どうしても頭から離れない。

私の大切な人たちも不安にさせる続ける日々が続きました。

 

そんな中、先週、家の書籍を電子化するために電子書籍リーダーを購入しました。

そこに特典として付いていた本がありました。

ビジネス書で、以前から興味もあったので、何気なく読んでみました。

すると、こんな一説に出くわしました。

『損をしてでも守るべき哲学、苦を承知で引き受けられる覚悟、それが自分の中にあるかどうか、それこそが本物の生き方ができるかどうかの分水嶺になる』

ハッとしました。

ビジネス書なので経営者やリーダーとしての心がまえだと思います。

でも、私には違う文脈で心に刺さり、こんな質問を投げかけられた気がしました。

 

この不安や怒りはなぜ生まれたのか。

いままで抱いてきた不安や怒りは、自分の人生にとって何の意味があるのだろうか。

この不安や怒りは抱き続けるべきものなのだろうか。そしていつ無くなるのだろうか。

 

2つの答えが思い浮かびました。

 

私は全て相手の責任にしているが、因果応報という言葉があるように、これまでの自分の言動、選択が導き出した結果が今の状態なのではないか。

今の不安や怒りは自分のエゴであり、自分自身、被害者として振り回されることもできるし、コントロールすることもできるのではないか。

 

それに気づくと突然、自分のこれまでの考えや振る舞いが急に恥ずかしくなりました。

周りの人へはもちろん、自分自身に対しても申し訳ない気持ちになりました。

「これまでのことは全て赦し、前に進んでいこう。」

そんな気持ちになっていました。

「憑き物が落ちた」

そんな表現がぴったりでした。

 

こんな心の変化が起きたのは、私の人生の中で初めてです。

人を赦すということは、自分の心から荷物を一つ降ろすことなんだと気づきました。

自分で自分自身を赦すことなんだと。

 

たまたま出会った本でした。

人の縁はもちろんですが、たまたま出会った全ての機会に感謝です。

息子の写真

さて、再三、その人が同じ出来事を起こしたらどうなるのか。

その時になってみないとわかりませんが、今の私の答えは、

相手の責任云々は関係なく、自分に原因があると捉え、できるだけ心乱さずにその後の人生の選択をしたい。

 

最後に、具体的に書けなかったにも関わらず、最後まで読んでいただいた方々に深く感謝いたします。

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